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無感な人

こんな人を見かけることはよくあるんじゃないだろうか?
無感な人自分の感覚が無い人だ。

彼らの言葉には重みがない
こちらが逆の意見を出すと、とたんに意見を変えることがよくある。
意見が変わることは誰にでもある
だが、彼らには意見が変わる理由がない

なぜ理由もなく意見が変わるのか?

どうやら元々あった意見にも理由がないようだ。
無感な人からさらに意見を引き出そうとしても意見は出てこない
はっきり言えば、彼らは最初から何も考えてなかったのだ。
何も考えていなければ、その意見に理由がないのも当然だ。

しかしまだ変だろう。考えがないなら意見することもないはずだ。
無感な人になる道理がある。そこから説明しようと思う。

無感な人も元々は、自分で感じ自分で考えていた
だがある日彼は、逆の反対意見と対立することになり
結果的にその反対意見に同意させられる
多数決の少数派の状況などがこの状況にあてはまる。
この同意をしいられる場面を不愉快に感じたことだろう。
この決して珍しくない状況に何度も遭遇した彼は考え方を変えることになる。
自分の考えが否定されない状態、それが考えることやめることだ。
多数決なら多数派に入ろうとはするが、本題については考えないということだ。
無感な人になることを彼自身が選択した

つまり、元々は自分で考えて意見していたが
意見を否定される事を拒絶し、考えることをやめた
だが、社会の一員であり続けた。だから、意見する姿勢はあるのだ。

彼らが次のステップに進むには、現状の
うわべだけの意見は無価値なものだ、と認識する必要がある
自分で感じたことから考えて意見していくことに意味がある。
物事は自分自身で考えることで初めて進んでいくものだ。
無感な人は周りに流されて自分を見失った、と思うかもしれない。
だがそれは自分で考えることをやめたからじゃないか?
もう一度考えることを始めるべきだ。

また、他人の考えを受け入れる手段を見つけるとよいだろう。
ちょっと難しいと思うかもしれない。
自分が何か感じて考えるように、他の人も何かを感じて考えている
意見の違いなんて、それだけのことだ。違っていても当たり前なんだ。
その根拠となる"何か"を知らないから
単純な答えの相違などだけで、反発をしてしまいがちだ。
逆にされてしまうことも多いだろう。
だがそれでも、自分の力で感じること・考えることの意義を忘れないでほしい。

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